浅草 羽子板市
羽子板市に行ってきた。
羽子板市の起源は、古くは「邪気を跳ね返す板」として女の子の成長からを願う風習からきています。年の瀬の風物詩として昔はにぎわっていたらしい。…
らしい?
そーなんです。写真の通り、PM8時には、仲見世はもう9割かた閉じていて、羽子板の出店は、境内のちょい手前当たりにほんの数軒がでているだけ。寂れた場末の町内会のイベント風景。
あまりにも、閑散としているので、老舗っぽいお店の親父にヒヤリング。
−羽子板市っていつもこんなん?もうお終いの時間?
こう寒くっちゃねー、人手もないよ、ねー。と、悲壮感。
昔は夜中の3時くらいまで、賑わってたもんだよ。旦那衆がさー芸子4−5人連れてさー、「ほら、どれがいい?」ってね。
花柳界も締めてしまい、そんな風情も見られない。どうやら、土日も閑散としていたらしい。親父曰く、
「うちなんかは、オリジナルで手作りで毎年違った者をこしらえるから、それでもまだお客さんが楽しみにしてくれてるけどさ。周り見てご覧よ、どこも一緒だろ。これじゃー、いつ来ても一緒ってなっちゃうでしょー」と。
「若い子たちは、値段聞いて、ワー高い!って。みんな携帯でパシャパシャで終わりよ。」どっちかっていうと、私もその口。そー言われちゃー、撮りにくいよ、おっさん。
「どーだいこれ、手塗りだよ、男ものはさー、凝ってるんだよ。手間かかってるんだけどね。どう?これなんか、5000円するんだけど2500でいいよ。」
だって。
それにしても、折しもの寒気にサラされて、まさしく、これが風前の灯火ってヤツなのか。私には、板に貼り付けられた弁慶が、「参った」とつぶやいたように聞こえた。ガンバレー、浅草っ。
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