今月の世中観 Vol.04
人はそれぞれ、ひとりで、いろいろな立場を使い分けています。
時に、その立場を守ろうとします。
そこに、「自分都合」が 生まれます。
立場を笠に着た「自分都合」が 一番やっかい。
でも、その「自分都合」をつけるのが、リーマンの世界 ?
都合つけるにしても、役割上の権限と能力にも、よる。
受け皿 ばっかりしてると その 受け皿も溢れちゃう、し。
溢れてきたら その下で 受け止めてくれちゃったりすると、
漏れないんだけれど…
リーマンのサラも 限度がある 。
これ、世の中的には、どうなのか。
諸々の問題は、受け皿が 足りなくなっちゃってきてることで 起ってる?
そりゃーそーかもしれない。
だって、上司も部下も、教師も生徒も、親も子も、行政も住民も…
世の中 総「自分都合」だとしたら、
そんなところに、
受け皿を つくろうとするから、ややこしいのかもしれない。
自分の都合なんて、言ってられない。
聞いてくれないのがあたりまえ。
言ったり、聞いて貰もらためには、それなりの 努力が必要。
だった、はず。
努力 とは 「自分都合」を封じて
自分を受け皿にすること だったのかもしれない。
「自己犠牲」?
けど、世の中の規範 とか 道徳 みたいなものが
一方を向いていない。行動や思想も多方向。
しかも、情報の発信元も 多様。
ってことに なってくると、
受け皿 なんて そもそもつくれない世の中なのかも。
やっぱり リーマンのサラ だけじゃなくって
世の中の皿 自体が溢れちゃってるのかな。
地域 会社 家族 の なかでも そーなのかな。
でも、それじゃー、あまりにも、努力が むなしい
ってことになっちゃう。
確かに、そーいうことも あるけど…。
だからといって誰かが何かをやらなければ、世の中も
地域 会社 家族 も 前に進んでいけないよ
受け皿になることは、 ほんとに、おこがましいの かい?
もっとも、受け皿になることで、
新しいビジネスモデル と なることもあるかもしないけど、ね。
そうだ、みんなで さぁー はじめよー
前向きな、明るく楽しい 気軽な 受け皿。
そして、
少なくとも、人に迷惑のかかる「自分都合」は ひかえましょー。
地球のためにも、。
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